漆黒の斬撃

東京砂漠に生きる役者が、主に物語を書き綴るブログです。つたない文章ですが、お付き合い頂けたら幸いです。

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  ?朔?
『今宵、桜の木の下で、あなたを待っています』

手紙にはそう書かれていた。
この手紙を見るのは、もう何度目だろう。
涙でところどころ滲んでいる。

この手紙をもらったのは八年前。
まだ会社に入りたてで、色々ミスもしたけど
仕事そのものはやり甲斐もあるし
それなりに充実した日々だった。

差出人の名前は香澄。名前負けしない
透明感のある人だった。俺よりも
三つ年上の、事務職の人。新人同然の俺を
彼女は温かい言葉で支えてくれた。
今でも、彼女の事は昨日のように思い出せる。


晴天が、空を我がモノ顔ですっぽりと覆い、陽光が
差し込む窓辺の席から、彼女が僕に声をかけてきた。

「ほら、そんな顔してるとまた部長に怒られるよ?」
「いいっすよ、別に」

俺は席に戻るなり、上司からの叱責に凹んで
むくれていた。彼女にせっかく声をかけて
もらったのに、そんな言葉しか出てこなかった。
そして彼女は、おもむろに俺の頬を両手で掴んだ。

「ね、痛い?」
「!?」
「痛くないの?」
「いふぃなりふぁにふるんでふゅか!」
「あ、怒った?」
「離して下さいよ!」

俺は彼女の手を強引に振り払った。
彼女の行動の意味が全く分からなかった。
つままれた頬は微かな痛みが残った。
彼女の手の、僅かな温もりとともに。

「香澄さんも、俺を馬鹿にするんですか!?」
「するよ?」
「!」
「だって、そんな顔してても仕事の邪魔なんだもん」
「俺だって好きでこんな顔してるわけじゃないですよ!」
「そう?だったらなんでそんな顔してるの?」

彼女は俺を真っ直ぐに見ながらそう言い放った。
俺は、答えに困り、彼女の目を直視出来なかった。

「なんでって…それは…」
「自分のミス、でしょ?」
「……」
「だったら、自分の力で笑えるよね?」
「え…?」
「ミスをして落ち込むなんて、誰でも出来るんだよ?」
「…」
「でも、笑う事も出来るんだから」
「…」
「今のミスより明日の成功、でしょ?」
「香澄さん、言ってる事がよく分からないですよ。それと…」

すると彼女は、今度は俺の鼻をつまんだ。

「はい、私のお説教終了?♪」
「???」
「あれ?もう落ち込むの止めたの?」
「え?あ…」

いつの間にかモヤモヤした気持ちは消えていた。
まさに狐にでもつままれたような気分だった。

「さて、と。今日のお昼は何にしようかなぁ?」
「香澄さん!!」
「ん??」

背伸びをしながら去ろうとした彼女に
自分でも驚くほどの大声で声をかけた。
振り返った彼女は、数秒前まで俺の
目に映っていた女性とは、まるで別人のように
子どもの笑顔を浮かべていた。

「あ…えと…カレー!好きですか!?」
「私が作ったカレー以外ならね」
「インドとタイ、どっちがいいですか!?」
「お☆そうきたかぁ?じゃあタイかな♪」
「失敗した書類、速攻で終わらせます!」
「頑張ってね」
「はい!」

なんだかよく分からないけど、今までに
感じた事の無い気持ちだった事は間違いない。
俺は晴れやかな気持ちで、仕事を片付けた。

三度目のデートの時、食事をして、カフェで
談笑しながらこの時の事を話していたら

「私、本当は辛いモノって苦手なのよ?」

そう言いながら、彼女は紅茶のカップを手に取り
あの時と同じ目を俺に向け、いつもの
悪戯っぽい笑顔で、微笑んでいた。
俺はその笑顔を見て、彼女に二度目の恋をした。
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2006/11/08/Wed 23:36:49   今宵、桜の木の下で/CM:0/TB:0/



  ~弦~
あれから、何度か彼女を夕食に誘った。
最初は単なる憧れだった。それから色々と
彼女の話しを聞いて、彼女の人間性の
一部に触れているうちに、次第に彼女に
惹かれている自分に気が付いた。

ある種、尊敬の念に近い感情だけど
こんな気持ちを女性に抱いたのは始めてだった。

会社での彼女は、ほとんどアイドル状態で
腰の近くまで伸びた長めの黒髪、派手に
着飾らず、決して美人というわけではないけど
男女問わず周囲を和ませる笑顔、子どものように
笑うかと思えば、姉のように、時には母のように
みんなをたしなめてくれる、そういう存在だった。

そんな彼女を女性として意識し始めるのに
煙草を吸い終える時間さえ長いくらいだった。

街は早くもクリスマスムード一色で
ディスプレイやネオンが用意され
雪の降らないどんよりした空も
季節の訪れを告げていた。

「香澄先輩」
「ん?何?」

会社の近くのファミレスで食事を終え
二人で食後のコーヒーを楽しんでいた時だった。
ずっと気になっていたことを、聞こうと思った。

隣の席にいる大学生らしき集団が
あれこれ恋愛談義に華を咲かせていた。
オレンジ色のソファに座っている女性が
ストローでグラスをかき混ぜながら
ずっと喋っている。目の前に座っている
二人の男は、半ばけだるそうだった。

「あの、先輩ってホントは営業部…なんですよね?」
「…うん。そうだよ。今は経理の鬼だけどね」
「あははは、確かに」
「あ、そういう事言うんだ?へぇ?」
「え、いや、それはその…」

彼女は手元にあるコーヒーを一口飲んで
隣の学生たちのように友達の恋の話をし始めた。
そして、彼女の眼が、雰囲気が語っていた。

これ以上この話題に触れないで

と。俺もそれ以上何も聞かずに、彼女の
話を聞くともなく聞きながら、一緒に笑った。
俺のコーヒーは、冷め始めて苦味が増していた。

それからは、年末に向かってただただ忙しい
日々が続いた。年の瀬まで働き、仕事納めも終わり
迎えた大晦日の夜。どうしても自分の気持ちを
伝えたかった俺は、同僚たちに紛れて彼女と一緒に
市内にある大きな神社に参拝に来た。

屋台に並ぶ人たち。

除夜の鐘が鳴り終わり、世界が新しい年を向かい始める
喧騒の中、玉砕覚悟で彼女に気持ちを伝えた。
ほんの数秒背を向けた彼女は、少し顔を俯かせながら振り返り

「待たせすぎ…」

と答え、顔を紅くしながら、俺の背中に手を回した。
冬の寒さなんて感じないくらい、身体が熱くなった。

俺はこの時、絶対に彼女を守り抜こう、と
下弦の月に照らされる、彼女の瞳に誓った。
やがて冬の寒さは、春の穏やかさを運んできた。

「んっ?!桜!!!キレいだねぇ?」
「去年は入社したばっかりだったから余裕無かったけど
 この辺りにこんな場所があったんですね」
「そ。結構穴場なんだよ?」
「みたいですね。あんまり人も居ないし」

会社から少し離れた所にある小さな公園。近所の
家族連れくらいしか来ないけど、桜は見事な物だった。

久しぶりの二人だけでの外出だった。彼女の母親は
身体が悪いらしく、長女である彼女が仕切らないと
いけないからだ。毎日職場で顔を合わせているけど
久々に外で見た彼女は、幾分痩せているように思えた。

「ねっ」
「え?」
「今年の夏って、休み取れそう?」
「え?あ?…はい。有給はまだあるし、多分大丈夫ですよ」
「そっか♪」
「どうしてですか?」
「私もね、夏は少し自由になれそうだから、どこかに
 旅行でも行ってゆっくりしたいな、って思って」
「へ?」

思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
まさか彼女からそんな誘いをもらえるとは
思っていなかった。キス以上の進展は特に
無かったけど、だだ彼女とは同じ時間を共有
出来ていれば、俺はそれで満足だった。

初夏の太陽が肌を焼き、彼女と付き合い
初めて半年程経った頃、俺が学生の頃に
住み込みで働いていた事のある長野の
ペンションに来ていた。もちろん、二人きりで。

「でもなんかちょっと意外かも」
「え?何がですか?」
「だって、接客とか苦手そうなんだもん」
「香澄さん、それスゲー失礼じゃないっすか?」
「あははは、冗談冗談♪」
「冗談に聞こえないんすけど…」
「ほらほら、早く荷物置いて、散策散策♪」

近くの山道を一通り散策して、湧き水のある水辺で
散々戯れ、気が付くと山は橙色のコートを纏っていた。

「夕日…眩しいね」
「あ、はい…」
「そろそろ…戻ろっか?」
「そう…ですね」

彼女に促されて、俺達はペンションへと戻った。
陽が落ち初め、静けさが増してきたせいで
俺の心音が彼女にまで聞こえているんじゃ
ないだろうか、と思うくらい緊張していた。

夕食を終え外に出ると、空には乳白色の月が輝き
星々は手が届くかと思うくらいの距離にあった。

ここで働いていた頃、この夜空をこんな気持ちで
見ることが出来るなんて妄想はしていたけど
実際に叶うなんて思ってもいなかった。夢じゃ、ない。

ふと部屋の中を覗くと、天の川の輝きにも負けない
極上の一等星が濡れた髪を乾かしながら、戻ってきた。

「じゃあ、寝ましょっか」
「…」
「電気…消しますよ…」
「…」
「香澄さん…あの…俺…」

彼女は俺の言葉を遮るかのように、目の前に立った。
湿った空気に乗って漂ってきた、微かなシャンプーの香り。
脳震盪を起こして倒れそうな、甘い匂いだった。

「星、綺麗だね」
「…はい…」

彼女の手をそっと握りながら言った。

「俺…先輩とここに来れて…よかったです…」
「うん…」
「ここで働いてる頃、いつか、こうして彼女と
 ここの空を見たいって思ってました…」
「…」
「この空を…先輩と…」

言いかけて、俺は握った手に少し力を込めた。
鼓動がさらに加速していくのを感じながら。

「香澄さ…香澄と、見る事が出来てよかった」
「…ありがとう…」

握った手を引くと同時に、震えた声で、ありったけの
気持ちを絞りだすように彼女の名を呼び、華奢な
彼女の身体を包むように抱きしめ、ベッドへ倒れ込んだ。

夜の静寂も、蝉の声も、風の音さえも聞こえず、
俺の耳には自分の心音と、彼女の息遣いしか聞こえなかった。


それから仕事も私生活も、ずっと順調だった。
だけど、太陽の熱が冷め始め、木々が紅く
なり始める頃、彼女はよく会社を休むようになった。
それからほどなく、俺は先輩からよからぬ噂を聞いた。

「香澄の奴、長身で眼鏡かけた30代後半くらいの男と
 最近よく一緒に居るらしいぞ。会社休んで何してるんだか。」

俺は彼女の事を全く疑ってはいなかった。だけど
会社を休みがちになって、会社に出てきても
あまり俺と顔を合わせようとしなかった。
そんな彼女に少なからず疑念を抱くようになっていた。

肌を刺すような風が吹き、街が忙しなくなってきた。
微かな疑念を抱きながらも、答えが怖くて、彼女に
真実を問い正す事が出来ないでいた。彼女との事を
振り払うかのように仕事に没頭していると、功績を
認められたのか、年明けから始まる大きなプロジェクトに
いつの間にか補佐役として関わる事になったいた。

正式に辞令が下りた頃、ようやく彼女と二人で
食事が出来る時間を作る事が出来た。一年で
恋人同士が一番浮かれる、クリスマス。

部屋で食事を終え飲み物を買いに外へ出ると、夕方から
降り出した雪で街は完全に白銀の世界へと変わっていた。
二人でゆっくりと道を歩くと、雪を踏む音が耳に心地よく響く。

「よかったね、補佐官殿♪」
「ちょ、止めて下さいよ。くすぐったいなぁ?」
「そう?その割にはニヤケてるけど?」
「ええ、まぁそりゃ…嬉しいですから…」
「素直じゃない子には…ほら!」
「わ!!冷っ!!!」

彼女は、無邪気に笑いながら大量の雪を背中に入れてきた。
灰色の雲に覆われ、久々に大雪の降ったクリスマス。

二人で足跡を作りながら、仕事の話を彼女に話した。
買ってきたお酒を飲みながらケーキを食べて、今までの
不信が嘘だったかのような時間が、過ぎていった。

そして、お互いの肌の温かさを何度も確かめ合うように
夜は更け、布団の中で彼女は、俺の肩で笑顔を浮かべながら

「今年も除夜の鐘、一緒に聞こうね」

と静かに呟いた。俺は、彼女を信じる事にした。
隣で笑う彼女の眼は、一点の曇りも無い眼だったから。
しかし、その年の大晦日の夜、俺の隣に彼女の姿は

なかった。

除夜の鐘が、空と大地と心に鳴り響いた。
まるで、何かが瓦解する音のように。
2006/11/14/Tue 01:44:24   今宵、桜の木の下で/CM:0/TB:0/



  ?朧?
年が明けて、新しい一年が始まった。
大晦日の出来事があって、俺は人生で一番
最悪の正月を迎えていた。年末に降った
大雪は溶け始めて、街は段々と普段の様相を
取り戻していった。が、俺はそれと反比例するように
次第に自分の殻に閉じこもっていった。そんな
俺を見かねて、後輩の由貴が俺に声をかけてくれた。

「先輩の落ち込んでる姿見てると…寂しいです…」

俺は、なんとか自分を奮い立たせた。
このままじゃ、社会人として後輩に
示しがつかないし、男としても失格だ。

確たる証拠を自分の眼で見たワケじゃない。
彼女には、何か止むに止まれぬ事情が
あったに違いない。母親の事もある。
何より、俺には任されたプロジェクトもある。
今は腐ってるトキじゃない、そう自分に
言い聞かせ、気持ちを切り替えた。

しかし、年が明けても、彼女は出社を
してこなかった。俺は毎日を闇雲に生きていた。

そんなある日、なんとなく気晴らしに街へ出掛けたとき
香澄を見た。俺の知らない男と、親しそうに食事をしていた。

香澄の親族にあんな男が居るなんて聞いた事が無い。
両親にしては若い。じゃあ…じゃああれは一体誰だ…?
あれが先輩の言っていた…よく会ってるという…男…?

噂じゃなかった。確たる証拠を自分で見てしまった。
俺は、二人が店から出てくるのを、待った。

「香澄…」
「あ…」
「どう…」
「ごめんね」

彼女はそう言うと、隣に居た男を急かすように
駐車場へと消え、車に乗り込んでその場を去っていった。
その翌日、彼女は長期で会社に休暇願いを出していた。

なぜ会社を長期で休む必要が…?俺と顔を
合わせるのがそんなに辛いから…?それとも
会社を長期で休まなきゃいけないほど
母親の状態がよくないのか…?だけど
それだったら上司が何か言ってくれるはず…。

なぜ?ナゼ?何故………

数日間、そんな自問自答を繰り返した。
だけど堂々巡りだった。真実を彼女から聞くまでは
どうにもならない、と思い、余計な事を
考えまいとして、何も考えないように
ひたすら働いた。自分の身体を自身で痛め
酒で誤魔化し、仮初めの時間を生き急いだ。

そして、プロジェクト成功を祝う会社の飲み会で
派手に酔った俺は由貴に介抱され…過ちを犯した。

「私…香澄先輩の代わりでも…いいですから…」

仕事に対する疲労と心の荒みが、後輩の…
いや、女性としての優しさに触れ、自分の弱さに負けた。

理性を無くした俺は、由貴を抱きしめてしまった。
酒に任せて、そのまま自分を見失うように。

でも、俺に香澄の笑顔を忘れる事は出来なかった。
一線を越える事は無かったけど、それでも
浮気をした事に変わりは無い。他の女性に
一瞬でも心を許してしまったのだから…。

あの時、顔を合わせたのに、何も連絡を
してこない彼女が分からなかった。
愛しいが故に、俺はどうしたらいいのか
分からなかった…。それからはただ
悪戯に時間だけが過ぎていった。

再び桜が咲きそうになり、会社は一年の
締め括りに追われていた。冬の寒さと
春の温かさが混在したある日、社内に張り出された
辞令には、香澄の退職が記されていた。

香澄は、俺の前から消えようとしていた。
空には薄黒い雲に望が遮られ、脆弱な光を
飲み込みそうな闇が、眼前に広がっていた…。

2006/11/22/Wed 01:45:53   今宵、桜の木の下で/CM:0/TB:0/



  ?望?
仕事にも行かず、俺は完全に闇の中に居た。
例の公園で、二度目の桜を見る事なく
春が終わろうとしていた。窓から見える
桜吹雪が俺には本当の吹雪のように見えた。

出口の無い迷路にいるような感覚だった。
ただただ、息をして、気が付いた時にだけ
食事をして、たまに窓の外を眺める、そんな
生活を続けていた。そして、梅雨特有のねとつく雨が
降る夜に、見知らぬ番号から電話がかかってきた。

「はい…」
「…」
「もしもし…」
「…」
「香澄か!?」
「突然の電話…すいません」

香澄によく似た声だった。俺は動悸が
激しくなるのを抑えて、携帯を握り締め、声を出した。

「香澄!一体どうしたんだよ!?」
「すいません…私は香澄ではありません」
「???変な冗談止めろよ!」
「私は、香澄の母です…」
「香澄の…お母さん…?」

動悸はまだ続いていた。なぜ香澄の母親が
いきなり俺に電話かけてきたのか
皆目見当もつかなかった。

「あの…どうして俺の携帯に電話を…?」
「事情を簡単に説明します。落ち着いて聞いて下さい」

全てを聞いた。全てを知り、全てを悟った。
俺は、弾かれた様に部屋を飛び出し、降りしきる
雨の中、香澄の母親に教えられた場所へと走りだした。


「香澄…」
「おがあん…から…きひたんらね…」
「うん…」
「もう…せっかく…かくご…きめへたのに…」
「ごめん…ごめん…俺…俺…」
「あのこに…だいてあげれなくてごめんねって…」
「香澄…嫌だ…嫌だよ…香澄!」
「あひがと…ね…」
「か、すみ…?かすみ…香澄!!!!!!」

耳に刺さる単調な心電図音と
嗚咽混じりの慟哭が病室に響いた。
外は、相変わらずの雨だった。


俺たちが出会ったときから、この別れは決まっていた事だった。
香澄だけが、そのジレンマと戦っていたのだ。俺が抱いていた
悩みなんかよりもずっと大きく、深い闇の中で。

病室を出たあと、香澄の母親から、香澄が残したものを
二つ受け取った。俺宛に書いてくれた手紙と
二人の愛の証である、小さな命。母親の死に際に生まれた
その小さな命は、今、この世の全てを知ろうと
水晶のような目を見開いて、俺の事を見つめていた。
受け取った手紙には、乱れた字でこう綴られていた。


こんな形になっちゃって…本当にごめんね。
 この手紙を読んでるって事は、きっと…私は
 もう生きてないんだろうね…。お母さんが
 なにもかも、全部話した後なのかな…。本当は
 全部隠したまま、恨まれたまま逝こうと思ってるけど、
 この手紙をどんな気持ちで読んでくれてるのかな…
 
 傷付くのは分かってるから、絶対に恋なんてしないって
 決めて、最後の我侭で仕事も行かせてもらって
 結局病気のせいで、満足に働けないし、会社を
 休みがちになっちゃうから事務の仕事になったけど
 そのお陰で、私は最高に幸せな日々に出会えたよ。
 でも嬉しい気持ちと悲しい気持ちがごちゃ混ぜの
 毎日はちょっと辛かったかな(笑)
 
 昨日の男の人は、私の心臓病の主治医の方です。
 先生に、産婦人科に付き添ってもらった帰りでした。
 心臓の事も…赤ちゃんの事も…黙っててごめんね…。
 余計な心配や負担をかけたくなくて…。本当は
 クリスマスの日に、全部話そうと思ったんだけど…
 やっぱり私一人の胸に閉まっておこうと思って
 母さんにだけ相談して、子どもは母さんに
 育ててもらうつもりでした。ダメな母親だね…。

 願わくば、今年の春まで生きて、一緒に桜を見たいな。
 もし、私が生きていたら、一緒に見てくれますか?
 
 私は去年と、同じ場所、同じ格好で待っているから
 赤ちゃんと一緒に見ようね。あなたの事が、本当に大好きです。
 
 【今宵、桜の木の下で、あなたを待っています】
                                                 香澄
                               

日付は、あの日、見知らぬ男と一緒に居た
香澄を見た日の翌日だった。手紙を読み終えた
俺は、再び激しい嗚咽を虚空に吐き出した。

涙が止まらなかった。病院だということも忘れ
壊れた人形のように、一人で泣き狂った。
どこまでも浅はかで、自分勝手で、香澄の
苦しみを、何一つ分かってやれなかった
自分自身を、消してしまいたいほど、呪った。

香澄の心臓病は、極まれな確率で発症し、
成人を迎えた後は、5年?10年以内には致死率が
90%以上という先天性の心臓病だった。
心臓のポンプとしての役目が失われはじめ、
最終的には臓器はもちろん、脳へも血が廻らなくなり
色々な障害をも引き起こす病気だった。

そんな身体でも香澄は、なにより自分自身に負ける事なく
精一杯に『今』を生きようとしていた。だからこそ
身体に負担のかかる出産も本当は避けるべきだったが
彼女は主治医の先生にこう言ったそうだ。

「死ぬ事が分かっている命よりも、生まれてくる事が
 分かっている命を大切にしたいんです、私は」

香澄は自分の死を憂う事なく、生まれてくるであろう
小さな命の生を慶ぶ、最後まで気丈な女性だった。

俺は、香澄に対する全てに後悔をするよりも、香澄が
俺に残してくれた、この小さな命を、今度は全力で守り抜こう。
それが俺の、香澄にしてやれる最後の愛の証だと思った。



それから、娘と共に桜を見て、蝉の声を聞いて
紅色の木々に囲まれ、白銀の世界を踏みしめた。
そんな一年を幾度か重ね、気が付けば俺は30歳を迎えていた。

風は穏やかに、空に輝く望が、辺りを照らしていた。
鮮やかに咲き誇っていた、遅咲きの桜の木々は、
また新たな花へと姿を変えるため、眠りについていた。

何度も訪れようと思ったけど、弱い俺はいつまでも
ここに来る事が出来きなかった。だけど、娘の言葉で
ようやくこの公園に立つ事が出来た。

俺は右手に小瓶を、左手に小さな手を握り締め
ポケットから手紙を取り出し、娘の前で泣きながら
一人、八年前の戻りえぬ時間を懐古していた。

「お父さん!」
「ん?」
「どうしたの?どこか痛いの…?」
「あ、ああ大丈夫だよ。目にゴミが入っただけだから」
「今日、撒くんだよね?」
「ああ。撒くよ」
「来年、ちゃんとお母さんに会えるかなぁ?」
「会えるさ。さくらが教えてくれたんだろ?」
「うん!灰はね、植物の栄養になって花を咲かせるんだよ!」
「そうだよな」
「だから、来年お花が咲いたら、お母さんにも会えるよね?」
「ああ、会えるさ。きっと…会える。」

来年の今日、俺は必ずまた来るから、だから待っててくれよ?
二人きりじゃないけど、同じサクラだから構わないよな?
この公園の桜になって、大きくなったさくらを見てやってくれ。
じゃあ、今度は俺が、来年の君にこの言葉を送るよ。




『今宵、桜の木の下、あなたを待っています』




風は穏やかに優しく、空は丸く悠然と、辺りを包んでいた。
冷たさの残る夜風が吹き、小瓶の灰を風に乗せると
散り際の花びらがひらひらと舞い、少女の手の中に

そっと…包まれた。
2006/12/21/Thu 00:20:21   今宵、桜の木の下で/CM:0/TB:0/



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